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五 代     Vol.34

第34回は 鹿児島県薩摩川内市五代町にある山元酒造株式会社【五代】です!


鹿児島県北西部に位置し海と山に囲まれ、市の中心部を九州三大河川、川内川が流れている薩摩川内市。

遠くは神代の時代、高千穂に降り立つ天尊、ニニギノミコトの皇居があったと伝えられる神話の里です。市街地の中央に、ニニギノミコトを祭る薩摩の国一の宮「新田神社」があります。また、新田神社の神宮寺として建立された五大院が近くにあり、この地に住む人々は、御利益を願って地名や名前を「五代」と名付けました。「本格焼酎さつま五代」もその由緒ある名称を受け継ぎ、その歴史と伝統の味を今に伝えています。




山元酒造が焼酎の醸造を始めたのは、大正元年(1912年)。明治中期、本富安四郎の「薩摩言行録」によれば、各家庭は軒先に”九斗九升”の札を掲げ、自家用焼酎を造っていた。明治13年、酒造税則(大政官布告題40号)が交付され、九斗九升の意味するところは、その頃、免許を得ずに家庭で自由に造れる焼酎の量が、年間一石未満であれば課税されずに製造できると定められました。九斗九升といば身近な一升瓶で99本にあたります。当時、税務署が税収を確保するために、十斗を超えたら営業用とみなし、課税する法律だったようです。



昭和3年(1928年)、父の鶴三が、後継者として三男の喬(当時15歳)を指名。

当時一升は80銭。焼酎は当時組合の自主規制があり、メーカー毎に生産量の上限が決められていました。 戦時中、カメを空襲から守るため、手持ちのカメに水をいっぱいに満たすと、それを地中深くに埋めました。仕込みのカメさえあれば、どんなことが起こっても焼酎は造れると直感的に判断したといいます。


戦後、川内には29軒の焼酎メーカーがありました。時代の流れに取り残されたもの、あるいは後継者がいないなどを理由に、あるものは廃業し、また規模の縮小を余儀なくされ合併するなど繰り返し、昭和21年には、わずか19軒にまで減ってしまいました。

喬氏が焼酎造りを受け継いだ時、これだけは守って商品を作っていこうと決めたのは、品質管理でした。

苦労して造った焼酎は、毎日夜12時頃まで、北は永野金山、南は串木野まで売りに行き、昭和35年頃には、地場最大手のメーカーになっていました。







『五代 麦 長期貯蔵酒』


厳選した大麦を原料に、大麦麹を使用し、名水といわれる冠嶽(かむりだけ)山の麓から湧き出る、良質な伏流水で仕込んだ造られた本格麦焼酎です。五代麦長期貯蔵酒は麦・麦麹で出来た麦焼酎を貯蔵樽で3年以上長期熟成させました。熟成に「時」と「手間」をかけ、まろやかな風味と深いコクを醸しています。ストレート、ロック、水割りでお楽しみ下さい。


湯割り◎

水割り◎

ロック◎

ストレート◎









『GARAPPA #01 CRAFT GIN 47度』

ベーススピリッツは、日本の国酒「本格焼酎」。

焼酎王国“鹿児島”山元酒造の焼酎製造技術を活かし、厳選したボタニカル5種類をそれぞれ蒸留。ボタニカル本来の香りを生かし絶妙にブレンドを行い、日本ならではの伝統・自然・魅力を感じるクラフトジンが誕生しました。ボタニカルは「杜松子、コリアンダー、柚子、橙、ブラックペッパー」を使用。爽やかでキレがあり、ロックで飲んでも美味しく、マティーニでも飲みたくなる味わいです。


商品名について

ボタニカルの選定、そして原酒のブレンドを何回も何回も繰り返し、ある日突然、素晴らしいブレンドができました。これは薩摩川内市に伝わる有名な妖怪「ガラッパ」の贈り物と感じ、商品名を「GARAPPA」と名付けました。


お勧めの飲み方

ストレート、マティーニ、ジンリッキー、オンザロックetc




【当たり前のことをしっかりと行い続けるだけ 】

当たり前のことをしっかりと行い続けるだけ、それは、今の時代に忘れられがちなものです。本物を造る為に、一番大切なことでもあります。今日も、愛しさと厳しさを込めて、原料や工程のひとつひとつに心を注ぐ職人たちの姿が山元酒造の証です。長年にわたって、培われたきた人の勘、匠たちの心と技が山元酒造を支えています。


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