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雁 木 Vol.14

第14回目は山口県岩国市にある八百新酒造株式会社【雁木】です!

明治10年、岩国吉川藩の御用商人として、諸商い(今の総合商社的な事業)をしていた八百屋甚兵衛の養子となった八百屋新三郎が分家独立して、錦川の河口近くにあった藩主の別邸に「八百新」を創業した。今に残る「引き札」に創業当時の事業内容が記されており、「八百甚」の本業が醤油醸造であったのに対し、新三郎は清酒醸造を本業に位置づけ、醤油製造も継承しながら諸商いを展開している。その一つに氷貯蔵所があるのがユニークであり、敷地には氷室があったという。また、本業に清酒醸造を据えたところに、新三郎のベンチャー精神を見る。創業当時の銘柄は「新菊」新三郎とその妻キク、夫婦の名前から命名している。









新三郎を継いだ二代目八百屋収は、醤油製造は切り離し、清酒醸造を大いに発展させ「新菊」を地元岩国のトップ銘柄に押し上げる一方、自製清酒以外のビールや洋酒などを扱う総合酒類卸売も手掛ける。二代目の時代は八百新商店(当初の商号)の絶頂期であった。ところが、大東亜戦争の戦中戦後の米不足によって、原料米の入手が困難になったのをうけ、政府は日本酒の原料として、醸造アルコールや糖類等を大量に使用する三倍醸造法を奨励し、従わざるを得なくなった。しかし、純米酒しか造ったことがなかった杜氏は不慣れな三倍醸造法に適応ができず、品質の芳しくない酒を出荷し「新菊」は次第に地元でのシェアを落としていく。三代目の小林朋治氏と原田杜氏により、次第に酒質は改善した。研究科肌の朋治氏は蒸しの研究を進め、蒸気と同時に不活性ガスを用い、外硬内軟の蒸米を得る“蒸きょう方法”によって理論特許まで取得している。五代目となった小林久茂氏は経営と杜氏の職も兼任し、八百新酒造の革新に着手する。社名を八百新商店から八百新酒造に改め、清酒醸造に業務を一本化する。久茂氏が初めて納得のいく1本を造ることができたのが平成12年のことだった。八百新の原点への回帰と新しい船出の意を込めて「雁木」と名付け世に問うた。1本の仕込みから出来た一升瓶にしてたった600本だけの純米無濾過生原酒だった。「おいしさを分かってもらえる人だけに飲んでもらおう。扱ってもらおう」という姿勢を貫き、少しずつ生産量を増やし、無理せず徐々に取扱店を増やした。純米である事、活性炭素を使う濾過をしない事とを、遵守しながらラインナップを徐々に広げることで、ブランドとして認知されるようになっていった。


『雁木 純米吟醸 みずのわ』

川面に魚が跳ねた波紋をイメージして醸した純米吟醸酒。

軽やかな吟醸香、軽快でスッキリしたした喉ごしです。

やわらかくかろやかに、すいすいと杯が進むお酒です。


飲み頃温度:5~15℃ ◎ 15~25℃ 〇 25~35℃ △



『雁木 純米酒 ひとつび』

米という素材そのものの可能性を,そのまま引き出すことに打ち込み余計なものを足したり引いたりせずシンプルに真正面から向き合い醸した純米酒。「最後にもう一杯飲みたくなる酒、おいしさのターミナルを目指して」をコンセプトに、自然と身体に沁み込むような、優しく寄り添ってくれるお酒です。


飲み頃温度:5~15℃ 〇 15~25℃ ◎ 25~35℃ 〇 35~45℃ ◎ 


「感謝の気持ちをおいしさに代えて」

酒造りは生命体が、酒という新しい命を産む生命誕生のドラマに立ち会う営みです。いにしえの人々が発酵の神秘に驚嘆し、酒が神事に不可欠なものとなったのも肯けます。神様でもない私たちが、そんな特権的な現場に日々携われることに感謝をしなければなりません。 お米を作ってくださる農家の方々、清澄な水を生み出す郷土の自然、私たちと共同作業をしてくれる微生物、酒造りの環境づくりを支えてくださる、地域の方々と取引先や業者の皆様、一緒に現場で汗を流す仲間たち、そして生まれた酒を飲んでくださるお客様・・・酒造りという舞台に、私たちを立たせてくれる全ての人々と、大いなる自然の恵みに感謝の気持ちを忘れることなく、日々励むことが私たちの務めと考えます。 蔵人一同、感謝の気持ちを「おいしさ」に代えて皆様に伝えていきたいと思います。



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